脳がない!

カリソメの体でしか生み出せないものたち

季節はずれ

久々に開いた自分の文章からは、この前失ったばかりの恋愛の匂いを放っていた。

半年以上も間をあけて栄えるSNSなんて流行遅れも甚だしいのだろうけれど、言葉と映像(もしくは写真)というツールに頼ってでしかまわっていないそんな流行りを気にすることを最早私はしないだろう。

 

もし君が、たとえば不機嫌になれる環境があるのだとしたら、それは物凄く贅沢なことだと思う。

我儘を許されたり、気分を寛容してもらえるなら、有り難いことだと思った方がいい。

人はそこまで他人に対して自由になれないものだ。

或いは、都合よくいることは案外面倒だから殊更避けたりするものだ。

嫌われることも傷つくことも、無意識に通って生きていくことに馴れている人が大半を占めているから、語られないことこそ本当だったりする。

それでも縦横無尽にそこにいられる場所があるのなら、やはり幸福者だと思う。

だからこそ、愛していると言える人より、愛していないと言える人の方がきっと優しい。