脳がない!

カリソメの体でしか生み出せないものたち

誰かに見せびらかす必要のないたくさんのこと。

果たして今の時代に、ラインとかいうアプリではない連絡先、電話番号なりメールアドレスなりを知っていて、住所を把握していて、本名をわかっているような友人が、何人いるだろうか。

私は、学生という集団を抜けてからできた友達で、これに当て嵌まる人間は一人もいない。

意外と多いんじゃないかな、そういう友達。

希薄だと嘲笑するのだろうか、はたまたそのエグさにゾッとするのだろうか。

別に、いいと思うけどね、それくらいの曖昧さ、だけどたまに少しだけ、寂しくなるね、明日死んだらお葬式に行けないだろうからね。

それでもきっと、友達でしたって、言い張るんだろうよ、名前も住んでる場所も連絡先も知らないあの子の事。

 

知人のひとりに、いつも何かに対して怒ってる人がいる。

電車でドアの前に立ってるオッサンが退いてくれなかった、とか、仕事で上司に理不尽言われた、とか、内容は大なり小なりまちまちだったけれど、いつも愚痴言ってるなっていうのが私のその人に対する印象。

確かに、愉しいよね、愚痴って。

わかるよ、すごくわかるけど、私は怒ってる人は基本的に金がないか睡眠不足か腹が減ってるかセックスの予定がないか、そのすべてなんだろうなと思っている。

怒りの感情って、3日と持たないらしい。

どこで聞いたのか忘れたけれど、3日経っても怒っていたとしたらそれは話の内容がシフトチェンジしている可能性があるから気をつけろと訝っている。

よくある話だ、最初は冷蔵庫のプリンを勝手に食べたって話から、いつの間にか家事をしない夜遅くなるって連絡寄越さない、なんて話題にすり替わっていて犬も食わない夫婦喧嘩。

どうせエネルギー使うなら、怒りなんかに使うのは勿体無いと思うんだけどな。

私は大抵、ウケる、の一言でそういう負の感情を済ましている。

 

生きてる実感がほしい、って、悩みを相談された事がある。

生きてる実感、って何だろうね、現にあなた生きてるんじゃないの、ってその時は思ったけれど。

私の好きなアーティストの方が、「一番使い古しているものは何ですか?」って質問を受けていたことがある。

それに対してその人は「魂よ。」と一言返していた。

こういう事なんだろうな、と今は思う。

きっと命を燃やしたくても燃やし切っていない、不完全燃焼な人が世に塗れている気がする。

だからハロウィンで若者が暴走するし、インスタではこれだけ華やいでますって写真がスクロールするごとに出て来て、って、目立った人生謳歌を訴える。

だったら私は、ちょっとだけ、違う命の燃やし方をしたいなって、思う。

誰にも言えない古傷を、忘れる必要もないまま生きていくことだったり。

見せびらかす必要もない恋心を抱えてその人が好きな曲を聴くことだったり。

あの人に似た後ろ姿を見掛けて、話し掛けるか追い掛けるか殴りかかるか決め兼ねているうちに見失うことだったり。

今夜大停電になればいいのにって思いながら空を見上げることだったり。

そうして、誰かに語られることのない、そんな必要性のない物語をひとりでひっそりとつくりあげて、小さく命を燃やしたい。