脳がない!

カリソメの体でしか生み出せないものたち

追伸、あなたは喪失の淵で何を見ますか?

拝啓、お元気ですか。

今日も順調に、だめだったり、だめじゃなかったりしてますか。

それでいて、元気?って聞かれたら元気じゃなくても元気って答えて、大丈夫?って聞かれたら大丈夫じゃなくても大丈夫って答えてますか。

最近の空は調子が良かったり悪かったり、何だか美味しそうな色がしてますね。

そんな日には、どこにもあげる予定のない写真を撮って、越に浸ってるのですが、そういえば写真って元々は誰かに見せびらかす為ではなく、思い出のパノラマだった気がします。

何でもかんでも名前のあるものに落とし込もうとする感じとか、知れば知る程に畏怖とその広さを失ってく感じとか、そういうのが何だか嫌で時折逃げ出したくなります。

逃げた先に何があるか、想像に乏しくて、楽しさや悲しみは、慣れと共に失われていく気がします。

安心したい、完成されたい、などと言いながら、精神的に何かを欠いてる人間の方が面白く魅力的に映ってしまうこの感覚。

ていねいなくらし、だとか、キラキラしたスタイル、だとかをしている人がどこかフィクションに見えてしまう。

部屋も心も散らかったまま、しなければならない事はずっと溜め続けて、そのまま蔑ろになってしまったり見えない所に隠し込んだりして誤魔化しているのですね。

きっと私が死んでもあなたはしばらく気付かないだろうから、ずっと蝉の心臓のまま人でいようとしています。

どうかその死骸が、あなたによって踏み潰されますように。