脳がない!

カリソメの体でしか生み出せないものたち

負け犬の遠吠え

負けてばかりの人生でございました。

 

高校受験は第一志望には受からず、後期で滑り止めの女子高へ。

本当は共学に入りたかったとか、当時の私は嘆いていた。

センターはボロクソで、ここでも第一志望には受からず、大学ではなく短大へ。

私立大学なんて行くだけの経済的余裕も、無駄に受けるだけの受験料も、私には御座いませんでした。

学歴だけで評価された職員雇用の合否は、仕事の出来などに構いはしなかった。

10年続けた舞踊では、同期が表彰される傍ら、ついぞ表彰の台には立てなかった。

部活で何かを残すこともなければ、早かった足も、ゴールテープを切ることはなかった。

 

何をしていても、どんな事柄にも、上位互換がいる。

どんなに成し遂げようとしても、決して一番などにはなれない。

そして勝ち続けてばかりいる人には、君らには分かんねぇだろうなぁ、等と思いながら踏み込むだけの地面を蹴っている。

分かってくれるな、とも思ってる、分かってたまるものか、これは負け犬だけの感情だ。

負けているからと言って、人生が面白くないかといったらそれは決して比例しない、寧ろ、そこからの方が面白かったりするから、だからこそ、分からせてやるものかと思ったりする。

きっと一番には一番の苦しみがあって、そして私に対してそれでまだ飽き足らないのかと思う人もいるだろうけれど、そんなものは個人という頑固さの中では無力だ。

 

分からない。

誰かの苦しみであったり、何処かの苦しみであったり、私には分からない。

ただ、私の目前の苦しみの中でしか物事を語れない、別の角度からの見え方なんて想像でしかない。

だからぶつかる、想像だけでは優しくなれない。

でも想像はできる、そうか、と、聞き入れる事はできる。

だからこれは私一個人の意見だと思って聞いてくれ。

 

勝ってばかりのお前らの、脳みそなんかに興味はないし、溶け切った頭に花でも植えて、ものの見事に散ってくれ。