社会不適合者
いつか幸せだった記憶は、いつしか懐かしく寂しい記憶になったりするものだ。
ほんの数日前に会った好きな人の香りを、その時は幸せだと思いながら包まれていたけれど、今はそれが懐かしくて会いたくて寂しさに潰されそうだと思うことですら、小さな記憶の囚人だ。
記憶は内面から攻撃してくる、いわば時限爆弾みたいなもので、ふとした時にその情に目覚めて被爆する、逃れようのない感情だったりするから質が悪い。
恋愛なんて暴力だし、友情なんて劣等感でしかない。
嫉妬を嫉妬だと認めて、貴方が羨ましい、貴方と会っているあそこの女、ここの男が羨ましいと、言える人は可愛いなと思うけれど、誰かにたまらなく執着しながらもそれを只管隠そうとして、酔った勢いで泣きじゃくる人が私は好きだ。
届かない想いほど、儚くてエロティックで、寂しさを孕んだ耽美なものはない。
そうと知りながら、それでも分かってほしくてたまらなくなるから、本物なんだと自認する他ない。
人を好きになったその瞬間に、孤独が始まるようなものだ、って言葉を私は信じて疑わない。
流れる音楽にあの人を想って、映画館で静かに泣いて、カップルを傍目に置いて屋台のジャンクフードを頬張り、ウィンドウショッピングであの人に似合いそうな洋服を見かけた時。
幸福で寂しさで死にたくなる。
早く夜になってくれと懇願するくらいには。
こんな感情捨ててしまいたい、バイバイも言わずに逃げ出したい、傷つけて暴言吐いて嫌われたい、汚い私を見て軽蔑されたい、もう会いたくない、好きでも何でもない、いっそ殺してしまいたい、それが無理なら死んでしまいたい、どれもこれも、これっぽっちもできない癖に。
出来ないと知っててその柵に甘えている癖に。
好きなものに対しては割と素直に好きと言うようにしている。
いつ、それが好きではなくなるか、いつ、それを好きと伝えられなくなるか、わからないからだ。
今の感情は今のものでしかない。
それは、過去の私も未来の私も干渉できない。
そしてそれ以上に、それを受け取った相手がどう思うか、それによってどうするかなんてものは干渉できない。
私は、好きな人ができたときに、好きとは伝えるけれど、付き合って下さいと申し出たことはない。
勿論、付き合いたいと思う感情はあるけれども、だ。
何故か、と聞かれたことがある。
私はそれに対して、例えそれで付き合えないと断られたとして、好きでいる事をやめられる自信がないからだ、と答えた。
だから、好きだと告白して、付き合えないからごめん、と断ってきた相手に対しては、私との美意識が違うんだなと解釈して意外とその先で自然と好きではなくなったりする、ありがたいことに。
それでもたまに、何も言わずにありがとうとだけ返してくる人がいる。
私はその人のことをずっと忘れられないでいる。
価値観以上に、美意識というものが合う人間はそんなにいない。
だからこそ、私は私なりの美意識を語ることもないまま擁護している節がある。
あの人が好きだと惚気ることと、あの人がこうしてくれたと自慢することは似て非なるものであるから、私は前者を愛せども後者に対しては自制せよとしゃしゃっている。
君を識別する11桁ですら覚えられずにいるけれど、それでも君の大好物だけは覚えていようと思うし、あのときの表情を自分の中で噛み締めていたいと思う。
それを、誰彼構わずベラベラと喋る人にはなるなよ、と、ちょっとした美徳を掲げて、外の雨の音だけが鳴り響く室内で無言の愛を育んでいたい。
そして、それでいてちょっとした君からの言葉に一喜一憂して、それを一生忘れないって今だけの感情で想っていたい。
それで一瞬だけ、何かの特別になりたかった。