脳がない!

カリソメの体でしか生み出せないものたち

自分の感情は自分にしか認めてやれない。

ある女友達が、「ゲイの男の子を好きになってしまった。」と嘆いていた。

また別日には、ある男友達に「彼氏がいる女の子が好きなんだよね。」と相談された。

それの、一体何が悪いというのだろうか。

自分の感情を認めてやれるのは自分しかいないのに、その感情を否定することに果たして意味があるのか。

誰に干渉される余地があるだろう、すべて、身から出た錆だというのに。

感情なんて移ろうものだし、だったら今のその持ち得てる総てを大切にすべきなんじゃないかって投げ掛ける側に寄与している。

 

好きにしたらいいのだと思う。

例え好きになった人に、忘れられない誰かがいたとしても、付き合ってる誰かがいたとしても、ゲイだろうとレズだろうとバイだろうと、他人数を同時に愛してしまったり、もしくは愛することを知らない人だったとしても。

その人を愛したその感情がすべてなのではないか。

好きという感情に、恥ずべきことなどこれっぽっちもないのだから。

正々堂々とすればいいのだ。

そして、声を大にして、伝えるといい。

どうせ、物も言葉も、あげたものしかこの世に残らない地獄を生きているのだから。