脳がない!

カリソメの体でしか生み出せないものたち

静けさの夜

私が男だったら、月一で満足できるような女には元々多分興味がない。

都合のいい女より、都合の悪い女の方を手に入れたくなる。

可愛いと半ば呆れて愛でるより、確固たる美しさに惚れると思う。

寂しい人より、寂しくさせてくる孤独さを愛するだろうし、香水の銘柄は多分一生分からないままで、追い求める気がする。

自分が何を聴いていても、我解せずの主体性で生きていて、時折その用事を聞いてくる程度の女。

つまりは、私みたいなタイプはタイプではない。

 

幸せとは何か、ということは、一生の内に知れるのか、と思い至る事がある。

手に入れたいものを手に入れたら幸せになるのか。

自由、金や権力、愛、あらゆるものを量りにかけたときに、最も重いもののは何だろうかと、常々気にしては、結局答えなど導き出せないでいるし、これからもそうなんだろう。

永遠などない。

きっとこれらは時としてその質量を変えてくるだろうから、その天秤を心臓の底辺に置いている。

待てよ、それって、すごく、虚しくないか。

ところで、絶望を知らない人に、幸せなど訪れるのだろうか。

 

君は幸せだろうか。

ここにいてよかったと思えているだろうか。

その目には何が映るのだろうか。

何色に染まるだろうか。

今日の空の色を知っているだろうか。

その間、私は雨に溶けたみたいだ。

地平線はまだ遠い、夜は明けない。

けれどもう、始発列車は動いているさ。

ほな、さいなら。