脳がない!

カリソメの体でしか生み出せないものたち

見えない敵より

電車に乗った隣の女の人が通りかかった中国人に対して、やだぁ、怖いわね、ウイルス撒き散らしているかもよ。

その人が持っているかどうかすら分からない事情をつらつらと音声に乗っけていた。

こうしてきっと、風評被害は生まれてきたんだろうし、ありもしないデマも生まれてきたんだろうし、差別や偏見も、きっとこんな過程で生じてきたんだろうな、なんて口封じぶら下げながら片耳で頷いていた。

 

この前ツイッターで、この紛糾に対して、「見えない敵より目先のセックス」と見知らぬ通行人が呟いていたのを見かけた。

きっとこの人は、トイレットペーパーは残り1ロールになって漸く買いに出かけるだろうし、行きたい場所があれば何処だろうと一目散に駆け回るだろうし、世界があと一日で終わったとしても目先の女を追っかけるだろうし、好きになった人が現れたら、その人が遠距離だろうと病気だろうと関係なしに抱き締めるんだろうと思うよ。

まぁこれも、単なる憶測にしか過ぎないのだけれど。

 

見えない敵って、でもきっと、単純な物質的なものだけでは無いと思うんだよね。

イベントの中止でそういう業界の中小企業は追い込まれているらしいし、小中学校の休校でその親は困り果てているらしいし、いやでもそれは私の中ではニュースの中の話でしかなくて、実感はまるでなくて、それよりトイレットペーパーのデマ問題の方が接近した問題としてあるんだけれど、それでも、いや、今迄だって、あれがないこれがない、これがあったら便利だろうって発明と遺産とこれみよがしな消費を繰り返してきたのは誰よ、なんて、楽観的にカップ麺を頬張る。

歴史はいつでも繰り返し、そして過ぎた事はある程度忘れるように出来ていて、だからうまい具合にいつでも新鮮。

つまりは極論関係ない話なんて皆うわの空。

明日感染するかもしれないことよりも、最近味覚が麻痺して美味しくないご飯をいかに美味しく食べるかの方が重要だし、売り切れ必須のマスクより、こんなんおっぱいがあるから可愛く見えるんだわばかやろうって叩き付ける下着の宣伝の方が気に食わないし、集団やめろと言われるニュースを眺めながら満員電車に乗るより、その所為で延期になったライブの公演日の詳細の方が先決だ。

それでいて、今日ぶっ倒れる可能性より、明日好きな人ができたり、恋人と手を繋いで歩いたり、家族と笑って団欒できることを楽しみに時を繋いでいる。

 

希薄になったなって心持ちになることがあるんだ、それは、余りにも手に溢れる程の縁を持ちすぎて。

誰にも、何にも、替えようのない生を、果たしてその生き方という結論付けを、軽んじている訳でもあるまいし、それでもそうして笑っている側を知っていればこそ、あぁ、それは侮辱か、と蔑むこと止まない。

それでも何とか凌いでいるよ、自分の感情を、自分が一番愛していると擁護してやる為に。

何かと知れれば、それは、ちゃんと、愛。

それだけ。