脳がない!

カリソメの体でしか生み出せないものたち

晨星落落

街から、あらゆる光が、ぽつぽつと消えた。

あそこの店、潰れたってよ、だからって、助けてやれる預金はすり減っていくから、誰ともすれ違わなくなったし、他人のフリを極めた住人は皆、視野狭窄になって、小さい事で激怒している。

高圧的な態度のオジサマは、吐いた唾液で窒息しそう、なんて、列を乱して菓子袋を抱えたお子様が泣いている、一斉に、指差して感染源だと罵った。

余裕がないんだなって、呆れて、自分のことしか語らない自分大好きちゃんは、みんなで頑張ろうってありきたりな言葉を並べて、なけなしの顕示欲を保ってる。

自分ばかりがしんどいと、思う人間にはならないようにしようとだけを心に留めて、笑っている、インスタ女子の投稿は、遂にクッキーを焼くだけになってしまった。

政治家があれを語る、思想家がこれを呟く、そのタイミングで流れてくるミュージシャンの歌、それらみんな大金持ちだったから、家にいろなんて言葉が優雅に聞こえて、今夢中になれることと言ったら森で動物と戯れるくらい。

会いたい人に会えなかったり、もうめんどくさいから一緒に住むことにしてみたり、そしたら子供ができちゃって、良く分かんないけど捨てられる缶ビールのゴミは確実に増えていた。

 

制限され尽くされて、生活がシンプルになって、意外と自分一人で完結できてしまうものの多さに気付く。

雑多にばら撒かれたものの中から、本当に必要なものとそうでないものが淘汰されていく。

そして、思った以上に、どうでもいいものを抱きかかえていたし、どうでもいいものがどうでもよくない程に楽しかったと気付く、そういう無駄は、ずっとどこまでも、変えられぬ愛しきもの。

昔、大切にしていたチョコレートの缶ケースに閉まってあったガラクタは、今はとうに捨てたけれど、その時には必要なものだった、つまり、そういうことだと思う。

でも、きっと、危険を脅かしてまで、生きていけない程には、守るべきものは入ってなかったように思う、結局、我が身ひとつでできてしまうものが想像より遥かに多かった所為で、少しだけ虚しいんだ。

最前線で働いていて頭が上がらない、だとか、こんな中でも物を売ってくれて助かってる、だとか、そんな言葉が欲しくて働いているわけじゃなかろうに、まして、仕事がある方がありがたいだとか、いやでも家にいれば良いのだからありがたいだとか、結局目の前で起こっているのは自分の出来事でしかないから、そんな心配よりも他愛のない話で笑いたい。

 

この前、神社に行ったら桜が散っていた。

やたらと暖かいと思ったら、巣から鳥が羽ばたいて、どうも騒がしいのは人間界だけらしい。

もうちょっと、洒落たジョークを言われたくらいだったら、こうも淀まずにいたかしらね。