真夏の水槽
だんだん、疑問に思わなくなっていく。
なんで、とか、どうして、とか、思わなくなっていく。
順応してって、壊れないように、崩さないように、丸め込む。
忘れていく。
何を疑問に思っていたのか、何に対して儚く絶望を抱いていたのか。
小さい夜が幸せだったことも。
小さく咲いた向日葵の花も。
コンビニまでの道のりの蒸し暑さや炭酸が抜けたコーラの味も。
朝からけたたましい蝉の鳴き声も。
くっついた肌の湿っぽさも。
干したシーツからのそよ風や、雲ひとつない空の青さも。
大きさの歪つなTシャツの色も。
忘れてしまう。
そのひとつひとつの過ぎ去った日々の優しい記憶が。
永遠みたいな色をして、永遠みたく歌を唄って、それに何の疑問も持たずに。
その間にある小さな種を取り零してることにも気付かずに。
痛みとか辛さとか、あ、これは乗り越えてきた痛みだなとかって、勝手にその経験の上の物差しで測って、そういう、苦しみを丸め込んで緩和する、意識の外で。
もっと、さよならだとか、ありがとうだとか、好きとか嫌いとか、綺麗に言えなくていいのに。
もっと不格好で良かったのに。
笑ってる。
いつまでも、知らんぷりして笑ってる。