爪研
物腰柔らかそうな中年男性が、 自分の母親を連れて病院へ訪れているのを見た。
受付のお姉さんに、ありがとうございます、なんて返しながら。
彼の、母親にだけ強く当たる姿を見た。
違うから、何度言ったら分かるの、いいから、やるから。
優しくなりたかったのかもしれなかったし、多かれ少なかれの孝行ではあったのかもしれない。
介護疲れの人を見るのは別にこれが初めてではない。
父親に十年ぶりくらいに会った。
祖父が老人ホームに入ったらしい。
もう生い先長くないから、 最後に一度会ってやってほしいという口実で、彼と、 彼の母親の住む家へ母と訪れた。
思い出の頃の父とはだいぶ老けていて、 そして私はその空白の彼を知らない故に、最早他人であった。
話の聞き方も思い出せぬ、呼び方すら、父とも呼べず、 そんな彼が祖母をあしらう姿が、やけに攻撃的に見えて、あぁ、 そういえば私は父のこういうところが嫌いであった。
怒鳴り散らかして高圧的に物言う父が怖かった、幼少の記憶。
きっといい人ではあるはずなのだ、楽しそうに遊ぶ人であった、 人当りは良かったはずであった、ただ、 我慢の閾値が低いだけなのだ、些細なことが気になって、 いい意味でも悪い意味でも、駄々を捏ねる子供のようで。
いいから、やるから、そっち行ってて、さっきも言ったでしょう。
きっともう、既に何度も、 そんな応答を繰り返しながら過ごしてきているのだろう。
帰りの車はやけに静かであった。
ずっと一緒にいると、あぁなってしまうのかね、と私の母。
恩や情ではどうにもできないものが、 介護や子育てにはきっとあるはずで、それを私は知らないから、 悠々と、そうなのかもしれないね、と返事をする。
私は、あの高圧的な態度が気に入らなかった、そういえば、 元からそうだった。
離婚して正解だった、と笑って言う。
そんな彼の遺伝を多少なりとも引き継いでいる私は、 平素から抱えた怒張された怒りを蓄えることでその存在をないものとしている。
攻撃性があることを分かっている、 きっと誰しもそういう危険性を抱えていて、 理性やそれを上回る正義で自制しているだけなのだ。
思いのままに殴り飛ばしたい、壊してしまえ、殺してしまえ、 祝え、祝え、祝え!
ありふれているからこそ言わないだけだ。
そこにあるものが当たり前すぎて目に入らないだけだ。
疲れたんだよ、なんて、 言っても大人になったら救ってくれないものだから。
あぁいう風に、ならなきゃいいなの反面教師それだけで、 どこまでそういった暴発を抑制できるのか、 一体全体試していないから分からない。
言わなくたって分かっているよ、もう子供じゃあないんだから。
未熟なままでだって、生きていける、大丈夫。
私たちは手押し車を押している頃から杖をつくまで、 きっとずっと、ままならないままだ。