脳がない!

カリソメの体でしか生み出せないものたち

通行人のフリをしながら

マスクが表情を枯らしたときに、寂しい時代だと言った。

お気に入りの本を貸した、それっきり返ってこないけれど、いつか会うための口実に残しておこうと、大好きな本は大好きな人の手に渡ったまま、新品を買わずにいる。

さよならも言わずに、きっともう会えなくなった人が増えていく。

そういう人達のことを、ふと思い出す。

きっと、今もどこかで優しく暮らしているんだろうなということを思って、すれ違う誰かであったかもしれないと思って、生きている実感をする。

 

何時間か、もう忘れたけれど、待ち合わせ場所に来ない相手を待った時に、生きてる時間が違う人や、流れる速度の違う人が何度も何度も目の前を通り過ぎていった。

新宿伊勢丹の交差点で、気付いたら日が暮れ、ビルがライトアップされて、終いには閉店をお知らせしたシャッターが閉まっていた。

それでも待ち続けた。

あのビルの上から飛び降りたらどうなるんだろうとか、この男女のどこまでが真実なのだろうとか、量産された服を着て何処へ行くのだろうとか、まったく動かない私の時間の上で通行人がいくら飛び跳ねていても、当の私はというと時計の針を時と認知する手前で眺めているだけだった。

けれどもそれらは、誰にも侵すことのできない、たった私だけの流れであった。

何年か経った後も、すれ違った人達の色も形も、何で待っていたのか何が悲しかったのか、すべて忘れるのだろうけれど、ここから見た伊勢丹の景色だけは覚えているような、そんな気持ちがしていた。

きっと、彼らもその程度に生きていた。

私を通行人と認知してか知らずか、それでもどこかですれ違った赤の他人が、楽しかろうが寂しかろうが、きっと今も生きていることが、気持ち悪くて奇妙で嬉しくて仕方がない。

地面に降り注いだ金木犀の花束

雨の匂いに混じって、金木犀の匂いが流れてきた。

黄色い花は足の裏に浮いていた。

半袖の上からパーカーを羽織って、寒さに気付かないフリをしていた。

幸いにも凝視しなくても大丈夫だと猫の鳴き声が告げていた。

近所のコインランドリーはカラフルがぐるぐるしている。

回される衣類のことを少しだけ思った。

隣で洗濯物を預けに来たイケメンは、帰りは子供を背負って来ていた。

死にたさなんて感情は、ありきたりで当たり前過ぎるから、雨に反射して散った花火で暖を取って小さな海を見る。

どうだい、炊き上がった毛布に包まって、明日はやっていけそうかい。

君の季節は終わっちゃったけど、今日も生きてるね、と、ひと捻りの花弁に呟いた。

ミスター

僕の見た夢は、遠ければ遠い程それはそれはよく光った。

冷たい夜空によく似合った。

伸ばした手の先に掠めるものは何も無かった。

矛盾か。

果ては暗闇か。

死にたさレベル10の僕と、生きたさレベル50の君。

ドーナツひとつ分程度で満たされる欲求だった。

ついでにあれだけ欲しかったものも手に入れた瞬間どうしてここまで執着していたのか分からなくなった。

蛙化現象に陥れた君。

ムカつくくらい愛してたって言った。

僕は君を待った交差点からの景色を一生忘れないでいてやることで、一生嫌がらせしてやろうと思っている。

僕が食べないままに一生好きでいようと思っているチョコミントアイスクリームと同じように。

緻密な計算なんて嫌いだ。

小洒落た台詞はもっと嫌いだ。

素直にしか生きられない、僕も君も。

だから僕は香水とゴツい指輪だけして交差点を横切る。

今日も明日も、通行人のフリして横切る。

追伸、あなたは喪失の淵で何を見ますか?

拝啓、お元気ですか。

今日も順調に、だめだったり、だめじゃなかったりしてますか。

それでいて、元気?って聞かれたら元気じゃなくても元気って答えて、大丈夫?って聞かれたら大丈夫じゃなくても大丈夫って答えてますか。

最近の空は調子が良かったり悪かったり、何だか美味しそうな色がしてますね。

そんな日には、どこにもあげる予定のない写真を撮って、越に浸ってるのですが、そういえば写真って元々は誰かに見せびらかす為ではなく、思い出のパノラマだった気がします。

何でもかんでも名前のあるものに落とし込もうとする感じとか、知れば知る程に畏怖とその広さを失ってく感じとか、そういうのが何だか嫌で時折逃げ出したくなります。

逃げた先に何があるか、想像に乏しくて、楽しさや悲しみは、慣れと共に失われていく気がします。

安心したい、完成されたい、などと言いながら、精神的に何かを欠いてる人間の方が面白く魅力的に映ってしまうこの感覚。

ていねいなくらし、だとか、キラキラしたスタイル、だとかをしている人がどこかフィクションに見えてしまう。

部屋も心も散らかったまま、しなければならない事はずっと溜め続けて、そのまま蔑ろになってしまったり見えない所に隠し込んだりして誤魔化しているのですね。

きっと私が死んでもあなたはしばらく気付かないだろうから、ずっと蝉の心臓のまま人でいようとしています。

どうかその死骸が、あなたによって踏み潰されますように。

落日

折角写真機で撮った写真は、ひとつのボタンの掛け違いの所為でぜんぶぼけて映っていた。

揺らめく残像がエモいね、なんて、そんなエモーショナルさは君を前にしたら無力だ。

散りばめられた蝉の死骸の断片で、安上がりな笑顔のまま御託に並べる。

夜の照り返しの息苦しさを、放り出されたドレスシューズで歩く。

頑張らなかった。

だから、私は抱きかかえて逃亡するその物さえ持ち得ないし、逆に何も残らないからいつでも忘れられる筈だった。

即ち自分の目の前の仮染の愛着の喪失よりも、余所行の美味たる笑い声を喜べると思っていた。

遥か先の事を見据えて、きっと私はそこにいないと何となくで分かってしまって、けれど誰にも打ち明けることのないままに、手に余る砂を握り潰して零す。

どこにも行けないね、これでは、きっとどこにも行けないね。

 

真夏の水槽

だんだん、疑問に思わなくなっていく。

なんで、とか、どうして、とか、思わなくなっていく。

順応してって、壊れないように、崩さないように、丸め込む。

忘れていく。

何を疑問に思っていたのか、何に対して儚く絶望を抱いていたのか。

小さい夜が幸せだったことも。

小さく咲いた向日葵の花も。

コンビニまでの道のりの蒸し暑さや炭酸が抜けたコーラの味も。

朝からけたたましい蝉の鳴き声も。

くっついた肌の湿っぽさも。

干したシーツからのそよ風や、雲ひとつない空の青さも。

大きさの歪つなTシャツの色も。

忘れてしまう。

そのひとつひとつの過ぎ去った日々の優しい記憶が。

永遠みたいな色をして、永遠みたく歌を唄って、それに何の疑問も持たずに。

その間にある小さな種を取り零してることにも気付かずに。

痛みとか辛さとか、あ、これは乗り越えてきた痛みだなとかって、勝手にその経験の上の物差しで測って、そういう、苦しみを丸め込んで緩和する、意識の外で。

もっと、さよならだとか、ありがとうだとか、好きとか嫌いとか、綺麗に言えなくていいのに。

もっと不格好で良かったのに。

笑ってる。

いつまでも、知らんぷりして笑ってる。

もぐ

この間、焼肉食べに行ったんですよ。

本当に美味しかったんですけどね。

好物って聞かれたら、きっとそれ以上に好きなものいくつも出てくるし、ランキングで言ったらトップ10にも入ってないんですよ、焼肉って。

うどんとか、パスタとか、そっちの方が断然好きで、断然よく食べる。

でも、焼肉、好き。

敷居が高いというか、リッチというか、そんな料理だと思うんですよ、肉焼くだけなのに。

食べるアトラクションみたいで楽しいって言ったら笑われたけど、気分は遊園地、待ち侘びた小学生みたいな佇まいで紙ナプキンを首にかける。

だってきっと、家でやるには準備が面倒で、洋服の住処になってる私の部屋ではちょっと無理。

必然的に外食になるから、そこで贅沢その1。

あと多分他の料理と違って、わざわざ焼肉って目的だけでその店に行く、居酒屋とかレストランのメニューのひとつに焼肉、なんてそんな豪勢なこと、見たことない、から、贅沢その2。

前提としてまず胃の調子が良くないと、油で全部もってかれて胃もたれする。

元気じゃないと食べることすら危ぶまれるから、贅沢その3。

それに多分だけど、1回目のデートじゃ使わないよね。

2回目でもきっと行かない。

3、4回目になって親しくなってきたらようやく、そういえば焼肉食べたいんだよなって話題に出すぐらい。

そんじょそこらの簡単な関係の上では行けないからハードル高い、贅沢その4。

その上で、この人は焼くのかな、それとも焼かれるのを待つのかな、そういうのを見るのが楽しい。

奉行、みたいな人もいるね、たまに。

ほぉ、と思って見る、でも逆に焼いてみたりするのも好き、別にどっちでもいい、けど、どうするのか、どうしたいのかが気になる、それでどうこう思うわけではない、へぇ、って思う、それだけ。

でもなんとなく、ちょっと一緒にいて楽しい人とか、ちょっと安心できる人とは、焼肉行きたいなーって思うんですよね、別に人を選んでる訳じゃないけど。

とか言いつつ、職場の同僚と急上昇も急降下もしない焼肉アトラクションに行ったりもするから何とも言えないのですが。

明日を迎えたくなくなったら、行くといいですよ、焼肉。

元気になるから。

そういえば、私最近、カニ食べたいってずっと思ってるんですよね。