脳がない!

カリソメの体でしか生み出せないものたち

因果応報

白い眼の中心で、冷や冷やしているのは凡そ吐き散らした暴言を掬った人間のみで、私はというと、それを知っていながら至って冷静に笑っていた。

誰も彼もから好かれる訳ではないから、一握りの好きでいてくれる人に対しては真摯でいたいだけのつもりであった。

グラスを傾けて満杯の水を零したのは、或いは茶番だったか。

マッチの先の炎を煙が立つまで黙っていたのは、或いは策士だったか。

妬み嫉みなどを愚痴愚痴垂らすなら、その土俵にまず立ってからにしろと言わなかっただけ賢かった。

だけれどそれ以上に他人は他人に対してそもそも興味がないのだから、小さい感情より建前を選んだことを、果たして褒めるべきか恥じ入るべきか、私には忖度出来ずにいる。

何かを手解きするくらいなら、強引くらいの態度で威嚇でもなんでも、自我を通した方が、例えその場しのぎだとしても、稀に気持ち悪いくらいに押し通せたりする事が幾分腹立たしかった。

そういうような消極的事象を頭の奥隅に押しやってみても、戸棚が緩んで溢れ出てしまう、まして立ち入り禁止の文字に対するカリギュラ効果が邪魔してその戸棚の前を気付くと行き来している。

誰が言い出したか、他人が忘れている事を自分ばかりが覚えている事はままあって、それらは自らの悲観を温床にして張っていることが大部分であった。

あれはなんだ、これはどうした、非難ばかり木霊しても振り払えないのは根詰まりがあるからか、果たして因果応報と言うべきか否か。

甘んじて軽んじて、大層なことでもないように言霊頼りに大袈裟なツラして大口叩いているのは、理想の極地で大したことないと悟られたくないからだ。

零れた水はグラスには戻らないし、燃え尽きたマッチに火をつけても灯らないから、不可逆的なものに抗うのを諦めて、意図してグラスを落として割った。