脳がない!

カリソメの体でしか生み出せないものたち

好きなものを好きと言えないままに好きでいることを愛でたらいい

他人は承認欲求を満たすための道具じゃねぇぞ。
そんなにその他大勢の不特定多数にかわいいね、大丈夫だよ、必要とされてるよ、なんて言われたいと思うくらいなら、私だったらペットでも飼ってムツゴロウする。
そんなことよりも結局のところ、伝えたい相手ってたったひとりだったりしませんか、でも残念なことにそういうものって伝えたい一人には伝わらずに別の所に誤送されるもんだよ。

いいねの数が自分のステータスになろうもんなら終わりだね、と思ってそういう類のSNSを傍観する。
パフェなんて頼んだ瞬間が一番おいしいし、ナイトプールは足をつけた瞬間が一番きれい。
それが分かっている癖に、見せびらかす事でしか確立できない友情とか愛情とかの為に公に晒すのって、何だか気持ち悪くないですか。
ファストフレンド、なんて言葉がいつかできるんじゃないかと思っている。
人はそんなにも従順にできていないし、まして機械でもないし、大したことがなければ一番好きな何ぞやを聞かれたら大概二番目あたりを言うように努めているような私みたいな弄れ野郎もいるわけで、そろそろパリピとか女子力とか死語になればいいと思う。

ところでそれだけキラキラしているぞ、ってことが満たされているという事に繋がるらしい。
私はそれを鼻をほじりながら聞いていた、物理で。
キラキラしている事はいい事だと思いますよ、金があることに越したことはないし、時間があるなら遊んで楽しんでなんぼだと思っているし。
でも、例えば恋人を半日待ち続けたど田舎の駅のホームだったり、例えば帰る場所もなくて靴擦れしたヒールを持ちながら素足で歩いたアスファルトだったり、例えばどれだけ愛したって愛されなかった恋だったり、安酒で飲んだくれて吐いた事だったり、そういう経験、そこから搾取された後悔とか怒りとか、くだらねぇって今だから笑えるけど、そのときはそうするしかなくて、不可避で、それが意外と好きだったりする。

絶望したことのない人の人生なんて興味ないし、だからといって愚痴ばかり散らす人なんて近寄りたくもないけれど、そういう小さい惨めで虚しい経験から後天的に自ずと選ばれてきた、その人が盾として持つ言葉だったり香りだったりファッションだったり、即ち伝える術も理解される事もなくその人独自に孤立している生き方に私は興味があるので、平等的に誰にだって見え透いた可愛い君や可哀想な君には用事がないのよ。
それが欲しいなら君に色目使ってるあそこの子が懇切丁寧に君の自尊心を保ってくれる、自己顕示欲を満たしてくれるからもう他所当たってくれよ。
煩いなぁ、こっちが溜め息つきたいんだよ、てめぇがしんどいと思ってる何倍もの密度でこっちは生きてることに疲れたんだよ。