フェイクニュース
昔、憎いと思っていたあの人や、ぼんやり好きだなぁと思っていたあの人が、今日も変わらず見知らぬ何処かで生きているという事実。
そのそれらが何となく愛おしいと思う。
何れ消え行く消え去る命とりどりの縁そのものに、なして生涯永遠と名付けることが出来たろうか。
安直な偽名で堂々と闊歩する。
あの人やこの人の思考を少しでも覗けば何も言葉を失ってしまう脆弱性。
発言失態言葉の重さを質量として背に抱えて、これでもかと傷付くフリをするのがどこか上手かったのかもしれない。
両脇を擦り抜ける言の葉の刃先に対して、その目線、認識、余計な嘘噂、虚言症。
そうやって笑ってないで、恨みも泣きもせず、どうかあなたの築くその物語に私を登場させないでおくれよ。
おやすみそのひと言で、確信できる言葉だけ紡いで。
苗
きっと僕らは歪んでいた。
そしてそれに気づかずに、1Kの一室に寝転んでいた。
その補正のかけ方も分からないし、きっととんでもなくそれだけで世界が構築されていた。
ひとこと、言ってくれたら良かった。
そのひとことの為にたくさんの時間と精神が犠牲になったらしい。
グロッキー、グロッキー、グロッキーパレード。
圧倒的に足りない何かが蝕んでいく。
惰性で寝転がった精神の上に築かれた底のしれない忌み言葉。
これを誰が澄み切った犠牲と言うか。
どうしたって振り切れない感情に振り回される。
カーテンをあけたところで、入ってくる光に惑わされるばかり。
電源の入ってないテレビに映った目の下の隈にあっかんべーしたらプツンと切れる音と共に干したばかりのシーツを汚す。
ひび割れたグラスの元では何をも残さない。
灰皿の上に溜息を零す。
僕らは光合成だけで生きては行けない。
ずっと、貴方の方が強いねって、言って、その言葉を嚥下した。
SAI 〜私達はどう生きるか〜
暫くずっと、書かないようにしていた、それは、時間的猶予の無さが半分、故意的にそうしていたことが半分。
それは、少しだけ、何かを伝えるだとか、考えを述べるだとか、そういうことについて、不安を抱いたからだ。
ずっと、誰かを、何かを、好きと言うことは、善だと思っていた。
誰が、誰を好きになってもいいんだ、という映画の言葉や、好きが君を形成しているんだ、という本の言葉を、丸々ごそっと信じていた。
けれど、何かを好きと言う事が、別の誰かを傷付ける事になる可能性は、丸で懸念していなかった。
私は、椎名林檎が好きで、それは、当時中学生だった私の友人が、好きでずっと聴いていたことがきっかけだったのだけれど、私がその影響で好きになって、その結果、死に物狂いとはこのことか!なんて呆気にとられる程に聴きまくって詳しくなった。
そして、詳しくなり過ぎた。
好きになり過ぎたことが原因で、元々私にお勧めした彼女よりも詳しくなってしまって、結局その友人に嫌われてしまった。
親友だったのだ、子供の頃の人間関係なんて茶番だと言われてもその当時にしたら、それは友情と呼べたものだったのに。
好きの過剰投下で、ひとつの友情を破綻させた事がある。
それをすっかり今日まで忘れていた。
東京タワーの光が好き。
(でもスカイツリーを好きな人からしたら嫌がられるのだろうか。)
セロリが好き。
(でもセロリって嫌いな人多いからあまり頼みにくいよね。)
煙草の香りが好き。
(でも煙草は煙たがられるし、まず健康に害だって。)
あの子が好き。
(でもあの子が私を好きとは限らないし。)
君が好き。
(でも君のことを好きな女の子のこと、傷つけちゃうかもしれない。)
最近のテレビの話題はスキャンダルや熱愛ニュースで賑わっていて、ちっとも政治に深入りした話は特集されなくなってしまった。
(いや、まぁテレビ自体そんなに観ないのですけれども。)
不倫のニュースなんて、そんなに人の不幸が蜜の味かと思われるくらいに話題になって、人様の事情なんて周りが口出すことではないだろうと訝しるもしかし、でもきっと、どこかで自分に重ねているのかもしれないね。
「こんなこと、(自分がされたらとてもじゃないけれど悲しいから)可哀想。」と。
「好き」という、その内側を知ろうとすればそれだけ、爆発が起きる、と、最果タヒ氏は詩集の冒頭に記述していた。
いつか別れるのに、それがいつになるか分からないから、それが恐怖として存在する、と、F氏は自身のSNSで発信していた。
私は、もう、人様の好きや嫌いや、関係性の崩壊を怖がっていたら、誰のことも何の事も好きになれやしないじゃないかクソッタレ、と思うようにした。
それが散々崩壊を繰り返そうとも致し方ない、くらいの精神で。
どう生きるか、どう出会うか、どう別れるか、どう死ぬか。
私達にとって至極当たり前の、今日や明日だけで済まされないその煌めく毎日の為に、それでもきっと別れるのも死ぬのも今日ではないと信じ切って、この秒針の一針を生き抜く、そりゃあもう、木っ端微塵になるくらい。
だからもう、とりあえず生きていましょう、生きていれば、それでも繋がる何かがあれば、きっと会えるよ、君も、私も、大切な誰かや何かに。
再、彩、歳、災。
再生、そして、最果て。
満天の
君との捩れた感情は、僕に燻った正しさを植え付けるには十分だった。
久しぶりに会ったあの子に、何となく変わったねって、あぁそう、例えば昔はもっときたない笑い方してたよ、って、言うのと同じくらい私だってきっと何かと変わっている。
肯定してあげたかった。
大好きだから別れようって言ってみたり、嫌いだけどずっと一緒にいるよねって言われてみたり、ひとりになりたいはずなのに誰かを求めて、みんなでいるのに孤独になってる。
そういうぜんぶの感情を、そうだねそんなこともあるよね、って許してあげたかった。
君は、大丈夫、ここにいる。
生きているなら、きっと大丈夫。
死んでないなら、それで良しとしよう。
それだけで、いいことにしておこう。
会っても会えなくても、生きても死んでも地獄なら、どうせなら愉しい地獄を彩ろう。
一瞬だよ、君が先に死んでも、僕が先に死んでも、すぐ追いつくよ。
だったらその一瞬、一緒に不幸になろうよ。
きっと瞬きする間に終わっちゃうから。
こんな不幸、ちょっと目を瞑ってたら通り過ぎてっちゃうから。
めいっぱい空気吸い込んで、窒息するまでに。
そしたらもうなんだって、君の後ろには一面の星空しか見えないから。
世界滅亡デモンストレーション
台風の所為で、なのか、お陰で、なのか、明日の仕事が休みになりました。
まぁそうだよね、そもそもこんな台風の中、病院に自らの足で来る患者さんなんて、もうそれ元気だよ、と思う。
だからといって、突如として仕事が休みになったわけで、急遽降り注いだ三連休で、別段予定もなければ、動き出すのも億劫で、こんな天気の中どこに行くにも一労力だしな、って、多分結局引き篭もってイマジナリーフレンドと会話しているだけに留まるんだと思う。
こういう、震災とか、自然災害の日は、ちょっとだけ生と死が近づいた感じがしてザワつくね。
世界が明日にでも終わるんじゃないかってくらいの、少しの浮遊感というか、いつもの生活から疎外された感じがして、急に何だかゾワッて背筋が粟立つね。
でもさ、なんとなく、もしかしたらもしかして、死んじゃうかもしれないし、いやそんな大袈裟なって、思うけど、でも嘘じゃないよ、多分、誰かにとっての本当かもしれないし。
世界が明日終わるとしたらどうしますか、って、きっと今日みたいな日に聞いたらちょうどいいんだろうな、世界滅亡のデモ版、みたいな感じするじゃん、台風とか、震災とか、きっと世界が終わる日は戦争よりももっと短絡的に終わるよ、一瞬で。
世界が終わる日は、私的予想だと自然災害だろうと思う、やっぱりさ。
もっと大規模の、急激な地殻変動とか天候変動とか、それか惑星とか墜落してくるんだよきっと。
で、それって大体の天文学者とかそこらのエライ人が言い当てるんだよね、何ヶ月か、年単位かもしれないし、でもこのままだといついつに地球は木っ端微塵です、って。
そしたらこれもまたどっかの開発者がさ、避難用のシェルターとか作るわけ、火星に逃げ出す人も出てくるわけ、でもそれに乗れたり入れたりするのは本当のお金持ちと、IQいくつ以上の優れた人材とか、人間国宝みたいな人とか、スーパースターだったり有名な作家だったり次世代の発明をする科学者だけで、それは俄然私には関係のない話なんだよ、ニュースではやるかもしれない、有名人のあの人がシェルター入りです!とかって、でも大概さ、そんなのは違う世界のお話に聞こえて、だから、大抵の人は、それを聞いた直後から期限付きの人生を送るんだと思う。
そしたらどうするだろうね、それが一週間後のお話だったら多分今日みたいにスーパーから食べ物が消えるよ、それでもう全部のお店が閉まりだす頃にはお金の価値がなくなってるかもね、なのにパチンコ屋だけはやっていて打ってる人がいたり、ゲーセンかドンキに屯してたり、それでももしかしたら学校や仕事がある人もいるのかもしれない、犯罪とかで罰されなくなってるかもしれないし、逆にそのお陰で規律が厳しくなってるかもしれないし、でもどうせ一週間後にはみんな死ぬんだろって発狂する輩が現れるかもしれないし、それがニュースに取り上げられてインタビューを受けている近所のおばさんは少し嬉しそうかもしれないし、だけど明日の晩ごはん何にしようかって考えるかもしれないし、ポストには定期便のサプリメントが届くかもしれないし、でもみんなジョークみたいに口を揃えて言うんだよ。あ、もう一週間後には世界がなくなってるんだった、って。
そんなときにさ、どうするかなって、考えてたよ。
今日みたいな日にスーパーに買い急ぐ人はきっと世界が滅亡する前にもおんなじような行動するだろうし、逆にこんな日でもパチンコ打ちに行くような人は世界が滅亡する日でもおんなじようにしている気がする。
私はどうするかなって、考えて、だけど、一人は嫌かな、誰かといたいって思うかもな、それでいて、ぱっと安否を心配するのに思い浮かぶ人がきっとその一緒にいたい人で、それで死ねたらいいやって、同じようにお家でご飯食べながら、逃れようのないものを静かに受け止めるかもな、だけど不安になって一瞬だけテレビつけて、あと何時間です、ってタイムリミットを聞いて、怖くなって消して、この前見た映画の「火口のふたり」みたいな感じで取り残されたふたりぼっちを只管に底無しに貪ってると思うんだ。
そうなれたなら、ストーリーブックエンディングにはなれないけど、私たちだけのハッピーエンドを迎えられるかもしれない。
それで、それは多分、みんな、そうしたいしそうするんじゃないかなって、最後くらいって、みんな抱き合って眠るよ。
それを、私は今、雨音だけが響き渡る部屋の隅で丸くなりながら考えてる訳で、こういう日は、ちょっとだけ怖くて寂しくて、物事の整理がつかなくなって、頭の中ぐちゃぐちゃで余計悲しくなっちゃって、何も聞こえないから何でもないふりして泣いてしまえて、だからこそいつもよりずっと愛する人を愛せるようになるね。
さよならさんかくまたきてしかく。
しかくはこの部屋またきてふたり。
うそばかり
君の流行はぜんぶ、大好きな人の所為なのね、って、フォークソングがパンクロックに変わったりしていた。
流れる芸術性に、感動なんかしない。
昔、マイセンで焼き切った肺で、今は別の銘柄を吸っているのだろうか。
骨董品の肌で人肌恋しいと言っていた。
抱えた痛みは病気になってくれやしない。
弱酸性、荒れた素肌に微炭酸。
紙切れの端っこに、名前を書いた。
それも、ひらがなで。
何事もあろうものかと通り過ぎるので、天井のシミを睨みつけて唇が乾燥しきった。
写真立てなんて買って、どうしたの。
どうせ入れる写真なんてないんでしょ。
面白おかしく笑い立てたって、へでもない顔していた。
きっとそうだった。
満面の笑みで小さなふたりぼっちの中で心弾ませていた。
それで構わないと、他に何も要らないと、それだって朝は来るのに大丈夫だと信じ切っていた。
透明なガラスを素手で叩き割ったさ。
勿論血だらけだったけれど、骨の髄までは響いてこないんだって。
難儀なものだよ、それでいたって、嘘まるごと愛するのでしょう?
墓場の匂いがする
何をするでもなく頭の中を通り過ぎていく言葉たちに愛想を尽かして、もしかしたら形になっていたかもしれないものたちを風に揺らめかして流す。
僕は君の何にもなれなかったよ。
大切にしていた宝物だって、君から見たらガラクタだろうし、端から見たら可笑しいなってこと、たくさん言っていた。
可視化されてしまったら関係性が壊れてしまうけど、可視化しないと僕が壊れてしまうよ。
名付ける上での一定数の安寧を、放棄してしまったが故の畏怖。
安心したいが為の提示、確立したいが為の確定。
たくさん泣いたってたくさん傷ついたって何にもならないものだってたくさんあるのに、希望も絶望もごったにして潰していた。
何にしたってねむいんだ、このまま最愛の君を失うくらいなら死んだ方がましだった残暑の夕べ。