脳がない!

カリソメの体でしか生み出せないものたち

それでも、

4月がお目覚めになりまして、私も社会人2年目を迎え、そこに焦燥感が吹き荒れて、桜が咲く前に散り散りになるようなそんな気候の中で毎朝を受け入れております。

 

愛も言葉も想像も、夢のような甘さや語られるような優しさなんかでできてるんじゃなく、肉体を引き裂くような暴力だって体感したのもこの一年。
今まで構築してきた隔壁した城が土台から没落したのもこの一年。
すごく変わった気もするし、元からこうだった気もするし、実感もそれによって蓄えられた力も、そこに存在するんじゃなくて後からついてくるものだから、それをあからさまに具現化するのは困難だね。
毎日が刺激物を伴って襲ってくるのに、それを見据えて通り過ぎてるだけな気がして、何があるわけでなくても波のように思考が行き来する。
最悪で最低で不幸なわけでも、最善で最高で幸福なわけでもなく、まばゆい普通が続いてる。
唐突に悲しくなるし、唐突に愉しくなるし、情緒不安定なのかと疑問符を打つと、そんな明快な言葉で纏うなと地面に叩きつける。
自信喪失と自己嫌悪、その往来はなんとも目付きが悪いらしい。
免罪符が欲しい、それだけで息ができなくなるくらいには苦しい。

 

それでも、今日も、毎日、生きている。