喜 “怒” 哀楽
腹が立っている。
同じ物を何回も落としたりだとか。
机の角に足をぶつけたりだとか。
ほとんど使い切ったトイレットペーパーだとか。
靄って何も見えない雪山で一人倒れても、誰もが存在にすら気付かずに素通りするだとか。
療養病棟で口を開けたまま荒い呼吸をしている患者とか。
死にそうで死にきれていない他人だとか。
噂話の様な誠意だとか。
言わずもがな察しろといった空気感だとか。
隣なんて見えていない盲目的な目線だとか。
中心に居座る会話だとか。
何もかもどうでもいいやとか思いながら諦め切れていない期待値だとか。
ぜんぶ、苛々して腹が立つ。
怒らない人だね、とよく言われる。
私は、多分そうでもなくて。
それは単純に口に出す事を諦めきっているだけで、怒るだけの体力がないのだ。
というより、その体力が勿体無いと思ってしまう。
きっと顕著に現れる人よりも一層質が悪いね。
言っても無駄で、他人の価値観の中で済まされてしまっている、とうに分かりきった答えの為に、そんなエネルギーを使用することの方が勿体無い。
だから、何も言わなくなる、だから、何も怒らなくなる。
感情の中で、怒る、という感情、それを表に出す事は、何よりも贅沢なことだと思う。
どんな感情より過負荷的にエネルギーを使うから。
贅沢で、心の爆発で、それでいて無け崩しに積んできたお荷物が崩れる。
価値観のぶつけ合い、どちらかが死ぬまで繰り広げられるかもしれないdead or alive
負けた方は過去の自分を殺すしかない、自分の不出来さや拙さを認めなければならない。
こんな、面倒臭いことないでしょう。
もういいなんて、自分と関わるななんて、言われたら、女々しくなってんだなって笑けてきてしまうし、罪悪感で悄気げていたら、自分の事を慰めているようにしか見えないから、そんな姿見せるなと思ってしまう。
腹が立って仕方がない。
もうずっと長いこと、それでいて何も進めずに喉まで出掛かった数多の言葉を飲み込んでいる自分に腹が立っている。