脳がない!

カリソメの体でしか生み出せないものたち

解像度ヲ上ゲヨ震エヨ世界

きっと、こういう感情の時に人は怒るんだろうなとか、こういう痛みを感じたときに苦しくて泣くんだろうなとか。

俯瞰的に捉えてどこか他人事で、体外からの刺激と地続きで心臓が寄り添うにしては、余りに楽観的だった。

河川の下流の石のように、幾度も流され小さく徐々に削がれていく内に、角が取れて丸くなってしまった。

幸せは自分で掴みに行けるけれど、絶望なんて交通事故みたいなものだから、どうせ起こすなら大事故起こして這い上がってみたい。

そういう癖に危機回避能力だけ察しが良くなってしまった所為でブレーキばかりを踏んでいる。

だって疲れてしまったんだと笑う割には、それでも諦めきれないからちゃんと悲しむんだね。

こんなハズじゃなかった、それはそれは、私が私を愛するための痛み。

呆気ないね、仮染の強がりなんかでは到底叶いもしないのに。

どこからとも無く与えられる牽制のお陰で欲しがらなくても良くなったのは、手に入れないと気が済まないと駄々捏ねる我儘への抑圧。

やってもない事への羨望は、抱くだけ抱いたっって届きはしないから、だったら足を伸ばす方へ徹する。

人に言えないことなんて、あるに決まってるでしょそんなこと。

這いつくばっても恥ずかしくなんてない、だって誰も見てないもの。

冬から春に変わって衣服を薄手にしていくときの心許なさを、手に刃握りながら隠し通す。

「君は、嬉しいと泣く人間なんだね。」

死闘を演じる

罵倒として、死ね、などという無粋な言葉を使わぬようにしている。

それは決して汚い言葉だからとか人に向ける言葉ではないから、などという丁寧さから来ているものではなく。

人を傷つけようとするには愚直過ぎるし、そういう意味合いで使うのならば、もっと適切に内面から人を殺す言葉などいくらでもある。

あまつさえ使用した本人の痴鈍さを露呈しているようで、なんとも稚拙である。

同じ稚拙な言葉を使用したいのであれば、死ね、より、殺す、の方が幾分か丁寧であると思うし、それよりファックって言った方が意味合いが広がってお洒落であろう。

詰まるところ、戦う武器として不十分という結論。

 

傷つけることに対して興味がないから、悪い人ではないけれど、傷つけることに対して躊躇いもないから、決して良い人でもない、という呟かれた戯言。

言う程他人に興味もない振りをして、知らぬ分からぬを良しとはしなかった。

ご機嫌くらい自分で取りなよと、黙ったままで感情に蓋をするのは容易いだろうが、毒牙にかかっただけやもしれぬ。

そう易々と手放してくれるなよ。

心中の狂喜乱舞を踊らせない事には射抜かれた血痕を消す事などできまい。

言葉に重みと鋭利を持たせるには十分過ぎるくらい熟成させたであろう。

あとはただ、誰に命ずでもなく、粛々と、見据えるのみ。

喜 “怒” 哀楽

腹が立っている。

同じ物を何回も落としたりだとか。

机の角に足をぶつけたりだとか。

ほとんど使い切ったトイレットペーパーだとか。

靄って何も見えない雪山で一人倒れても、誰もが存在にすら気付かずに素通りするだとか。

療養病棟で口を開けたまま荒い呼吸をしている患者とか。

死にそうで死にきれていない他人だとか。

噂話の様な誠意だとか。

言わずもがな察しろといった空気感だとか。

隣なんて見えていない盲目的な目線だとか。

中心に居座る会話だとか。

何もかもどうでもいいやとか思いながら諦め切れていない期待値だとか。

ぜんぶ、苛々して腹が立つ。

 

怒らない人だね、とよく言われる。

私は、多分そうでもなくて。

それは単純に口に出す事を諦めきっているだけで、怒るだけの体力がないのだ。

というより、その体力が勿体無いと思ってしまう。

きっと顕著に現れる人よりも一層質が悪いね。

言っても無駄で、他人の価値観の中で済まされてしまっている、とうに分かりきった答えの為に、そんなエネルギーを使用することの方が勿体無い。

だから、何も言わなくなる、だから、何も怒らなくなる。

 

感情の中で、怒る、という感情、それを表に出す事は、何よりも贅沢なことだと思う。

どんな感情より過負荷的にエネルギーを使うから。

贅沢で、心の爆発で、それでいて無け崩しに積んできたお荷物が崩れる。

価値観のぶつけ合い、どちらかが死ぬまで繰り広げられるかもしれないdead or alive

負けた方は過去の自分を殺すしかない、自分の不出来さや拙さを認めなければならない。

こんな、面倒臭いことないでしょう。

もういいなんて、自分と関わるななんて、言われたら、女々しくなってんだなって笑けてきてしまうし、罪悪感で悄気げていたら、自分の事を慰めているようにしか見えないから、そんな姿見せるなと思ってしまう。

 

腹が立って仕方がない。

もうずっと長いこと、それでいて何も進めずに喉まで出掛かった数多の言葉を飲み込んでいる自分に腹が立っている。

最後の君

自由を欲して身から出た錆。

木が生い茂っていて日が沈んでいたから、落ちてくる屑星を掴めそうだったのに、泥濘に嵌って脳が死んでいた。

刃が刺さった鈍痛から内臓飛び散って漏れ出す泥水。

いつ死んでもいいよって君が言ったのに、寸での所で生かして殺していた。

ぶっ刺したいんだ、心臓を。

最後の君でいさせてくれって、岩のように冷たい手でその流れる音を聴いていた。

綺麗に染め上げる色が赤で良かったって言いながら、薄汚れた背中を必死に掻き毟って守ってる。

僕の愛した吐息が、凍てつく霰になって降り注いだ。

喉の奥に焼けた執着心が突き刺さって声にならない声だけ零れて、唾液が濁って時を溶かした。

視界は回って酔っているのに、思考はやたらと澄んでいて、恐怖に気でも狂ったかと、盲目的に濡れた純真を振り下ろしていた。

君の概念だけが好きだった。

巨大な鉄塔の真ん中で、吊るされた屍が燃えて空の肥やしになるのが、美しいと思ったよ。

すれ違ってすらいない。

会おうとしたって会えなかったら、そんなのは、あなたの中で死んでるのとおんなじことだよね、っていうのは僕の持論。

感情の起伏に疲れるから、一直線でいたかった。

上るのも、下がるのも、体力の消耗が激しいから、自分の為にならないと、世界を卑下して座っている。

君は僕に謝らないでいて、さよならバイバイ消えちまえと、自分に枷ているのを知っている。

僕はそれを面倒臭い感情の上に、自分に対して慰めているようにしか見えなくて、そんな罪悪感を勝手に見せてくるなと思っている。

そんな中で純粋な感情だけを探す方が難しい。

何でもいいけど、その腐った血肉を、君の為だよなんて綺麗にまとめて御膳に出さないでくれ。

だったらそうだな、いっそ同じ眼の色をしていてくれた方が心地よかった。

情報網

明後日の方向を向きながら、古本で買った太宰治を読んでいた。

行間を読む能力が欠如した果てに、結果ばかり先走って、結局それでって聞くばかりで、分からないでいる選択をしたものから問いかけられている事を解かろうとしない。

で?だから?結局なに?

どうせ説明文さえ読もうとしない癖に、矢鱈と情緒に欠けた台詞が連なる。

それでいて最近の映画館ではスマホの光が植わっているらしいから品のないイルミネーション。

 

忙しい忙しいとコンテンツばかりが増え過ぎて、追われるのは仕事や締切だけではなくなって、娯楽にまで後ろ手煽ってきた。

圧倒的に駆け回っていく流行とスライド操作で流されていく視覚に対して、ひとつに費やす時間が足りていない。

あれも見なきゃ、これもやらなきゃ、だから映画もエンドロールだけで見た気分になって、本も後書きだけ読んで感想文を書いている。

その割に何もない休日に限って、温い布団と友達決め込んで、動かないと期した怠惰を許している。

 

かく言う私も母から届いた「今皆既日食だよ」のラインに既読をつけただけで、空も見上げずに、囲まれたビルと目に痛いほどのヘッドライトを目前にただ寒さを耐え忍んでいた。

メンタル・ギャル

嫌なことがいつあってもいいように、ポッケの中にチロルチョコを忍ばせとけ、ってエッセイを読んだことがある。

私はチロルチョコの代わりに心にギャルを飼うことにした。

金髪のルーズソックス。

キティちゃんサンダル履いて、パンツ見えそうなくらいのミニスカ。

冬はその下からスエットが除くけれど、だいたいドンキの常連客。

携帯のストラップは本体より重いし、裏にはびっちりプリクラ三昧。

重力に逆らったつけまは命のポーチ片手に。

友達と笑い合ってたら最強。

何にだってなれる。

どんな理不尽も蹴飛ばして。

これ以上強いものなんてない。

そんなギャルを心に飼うことにした。

一生なれやしないから、心にだけはそっと住まわせておく事にした。